相撲部屋を支えてきた猫のモルとムギ

毎朝5時から相撲の稽古を見守る、猫のモルを知っていますか? 昨年『荒汐部屋のモルとムギ』(リトル・モア)が発刊され、SNSでは世界中にファンを持ち「世界で一番相撲を見ている猫」と呼ばれる人気沸騰中の猫なのです。モルのいる荒汐部屋にはほかにも、猫のムギと、柴犬の三吉も一緒に暮らしています。訪れたのはまだ陽が昇らない冬の早朝。どうやら本日、モルは朝帰りをしたようです。荒汐部屋を切り盛りする女将さんに、猫たちのエピソードを伺いました。


朝帰りもへっちゃら。猫の「モル」。

── 今朝モルは朝帰りしたそうですが、13歳とは思えないほど元気ですね。

何かしたくて外へ出かけているというよりも、自分のテリトリーをチェックして回る、日課ですね。このあたりは車の往来もあるので、私としては、できれば道路を渡って欲しくないんですけど、かなり広範囲までウロウロしているみたい。モルは13歳で足腰も弱ってきていますが、朝5時から始まる力士たちの稽古はもちろん、2階に顔を出しておやつをもらい、私たちが仕事をする上の階や自室、屋上へも必ず見回りに行きますね。


── モルが外へ出かけて帰ってこなかったことはないんですか?

今までに3回くらい、数日間、帰ってこなかったことがありました。傷だらけで帰ってきたことも。ケガをして縫ったこともあるんです。その点、ムギはここに居てくれるから安心なんですよね。

── 荒汐部屋にいるもう1匹の猫のムギは11歳。どんな出会いだったんですか?

ムギは1歳くらいのころ、向かいの駐車場にうずくまっているところを、力士が見つけたんです。手や足の裏も真っ白で綺麗だったので、野良猫ではないんじゃないかと思いながら、保護してすぐに動物病院へ連れて行きました。そしたら去勢されていることも判明。いったんうちで預かることにして、飼い主を探したんですが、現れなかったんです。そしたら力士たちが「自分たちで面倒を見る」と言い出して。ここで飼うことになりました。ムギの餌は、力士たちがみんなでお金を出し合って買ってあげているんですよ。

布団が定位置。超インドア派の「ムギ」。

── ムギは力士たちの部屋で暮らしているそうですね。

お気に入りの布団の上が、ムギの定位置になっています。今は人にもだいぶ慣れましたが、以前のムギはすぐに流しの下に隠れたり、人から逃げていました。ムギはモルと違って、外へ出たがらない“インドア派”なので、力士たちの地方場所が始まると、かわいそうなんですよねぇ。部屋に誰もいなくなってしまうので。


── 地方場所へ遠征するとどのくらいの期間戻らないんですか?

一度行くと40日くらい。私はこのビルの上の階にいるので、ムギに餌をあげに降りて来たり、相手をしてあげたり。でもずっと側には居られないので「上に来れば?」と誘ってみたこともありましたが、ムギはここから出たがらないんです。


── 力士たちが留守の間も、ムギは部屋で待っている?

ずっと布団の山の上に居ます。何年か前に一度だけ、上の階に上がって来たことがあったんですが、今度は下に降りたがらなくなってしまいまして。それに力士たちがショックを受けてしまって…。そうこうしているうちに、ムギは私のいる部屋へは来なくなりました。

── 待ち続けた力士たちが帰ってきたときは、ムギの喜びもひとしおなのでは?

それが、流しの下から出て来ないんですよ。みんなが帰ってきて「ムギー、ムギー」と呼んでも、怖いのか、ふてくされているのかわからないんですが。3時間くらいかけてやっと出て来る。こういう性格のほうが“猫っぽい”のかもしれませんね。


── というと、モルは猫っぽくないんですか?

よく話しているんです「モルは自分を猫だと思っているのか、いないのか」って。モルは、力士たちのごはんの時間になると真ん中を陣取っているし、自分はみんなと一緒だと思っている節がありますね。荒汐部屋へ取材に来た方や、打合せで初めて会う方にも近寄って行き、目と目で挨拶をしたり。稽古場ではお相撲さん同士がぶつかり合って、大きな音がしますが、モルは微動だにしません。

モルはモンゴル語で「猫」という意味。蒼国来が名付け親。

モルの武勇伝。

── モルは何事にも動じないんですね。

過去には、モルがお散歩中の犬と喧嘩になって大怪我をしたんじゃないか、という事件もありました。夕方の薄暗さで状況が見えなかったんですが、ブルドックがモルに噛み付いていて。気づいた力士がすぐに2匹を引き離したんですが、モルはそのまま逃げてしまい、ブルドッグの口元には血が。そこから何日もモルは帰って来なくて……。「あぁ、こんな終わり方なのかぁ」と私はひどく落胆しました。


── いつ帰ってきたんですか!?

1週間くらいしたらひょっこり。病院に連れて行き診てもらいましたが、モルはどこも怪我していなかったんです。どうやら怪我をしたのは、ブルドッグの方だったみたい。

優しい目でモルを見つめる女将さん(右)。首の部分がゴム製になっている猫たちの首輪は女将さんが選びました。


── 命があって一安心です。他にも“モルの事件”、ありますか?

モルが3歳くらいのときかな、みんなでごはんを食べているところに、モルが帰ってきて。モルの姿を見て一同唖然!! なんと、ねずみを咥えて誇らしげに佇んでいたんです。大変でしたよ、みんながわぁ〜って大騒ぎして。親方は「そういうときは、よしよしって褒めてやらなきゃいけないんだよ」って言うんですけど。…いやいや、冗談じゃないよ〜って(笑)。


── モルとムギの仲はどうなんでしょうか。

モルが2階にいるムギの様子をさっと見に行く程度ですね。たまにムギからモルにちょっかいを出したり。2匹が一緒に寝ることは絶対ないですね。性格は全く違いますが、歪み合うこともなく。モルは「ドア開けろ」や「おやつ」とか、何かと要求の多いうるさい猫で、どちらかというと私たちにとってムギが“癒し”ですね。

── ムギは大人しいんですね。メス…ですか?

よく言うんですけど「ここは、私以外みんなオスです」(笑)。


── 荒汐部屋には犬もいるそうですね。

はい。柴犬の三吉(さんきち)。親方が可愛がっていますね。普段は自室にいて、力士たちが交代でお散歩へ連れて行くんですよ。

子どもたちにも大人気。

「こんなにも相撲を見てきた猫は、世界でもモルくらいだ」


── 荒汐部屋は相撲の稽古が観れる場所として有名。早朝から海外からの見学者も多いですね。

ここまで人が増えたのはこの4〜5年です。海外のメディアや、携帯で撮った写真などが広がり、知られるようになりました。親方は、荒汐部屋を起こしたときに、相撲部屋の閉鎖的なイメージを変えたいと、稽古している姿が見えるように窓を大きくしたんです。中央区に相撲部屋が開かれるのも初めてだったし、近所の方にも通りすがりに見てもらえればと。日本の若い世代にも相撲を知ってもらいたいと思っていたんですが、相撲に詳しい海外の若い方がよく来られるようになりましたね。


── そこにアイドル猫のモルも加わりました。

私たちからするとモルが稽古場にいるのは、ごく日常のことだったんです。モルは自らの意思で稽古場へ行き、親方の側でじっと稽古を見るようになった。誰に言われたわけでもなく、それを十数年ずっと続けているんです。その様子を雑誌やメディアのみなさんが取り上げてくれて、今のようになりました。「こんなにも相撲を見てきた猫は、世界でもモルくらいだ」って言われています。

2017年1月には荒汐部屋のモルとムギの第2弾の写真展「猫と力士のあかるい写真展」が東京中央区で開催された。

── まるで招き猫ですね?

私はモルのことを“お守り”のように思っているんです。相撲部屋の女将は、誰かに頼るとかはなく、何でも自らやらなければいけないんですね。モルはそんな私の“安心のひとつ”。大事にしてるんです、モルのこと。可愛いっていうよりも頼りにしてる。……頼りにならないですよ、実際は(笑)。


── 心のよりどころ、なのでしょうか。

そうですね。「モル君〜」って話しかけると、こちらの話しを聞いてくれるような表情をするんです。じっと目を見てくれて。それは親方に言わせると“親バカ”なんでしょうけど。「かしこい猫だよねぇ」って語りかけると、モルはいつも私に目で合図を送ってくれます。

◼︎荒汐部屋

荒汐部屋は元小結・大豊(おおゆたか)が、平成14年(2002年)6月、中央区日本橋浜町に開いた相撲部屋です。現在、12名の力士と床山、行司が所属しています。朝稽古も公開しており、大きな窓から見学することが可能。詳しくは公式サイトかFacebookで。

荒汐部屋公式サイト
荒汐部屋 Facebook


『荒汐部屋のモルとムギ』

荒汐部屋 (著), ゆかい (写真), 池田 晶紀 (写真), 川瀬 一絵 (写真), 池ノ谷 侑花 (写真)
出版社: リトル・モア
言語: 英語, 日本語
ISBN-10:4898154476
ISBN-13:978-4898154472
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Interview, Edit: Tomoko Komiyama / Photograph: Jun Takahashi